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ブラックフェイス問題への反応から差別のことを考えてみた

by 安西敦

ガキ使のブラックフェイスの件,マイノリティである当事者が歴史的背景も踏まえて嫌だって言ってる話だと思うのだけど,Twitterとかでは「差別する意図なんかなかった」「気にする方がおかしい」とか言い続ける人たちをたくさんみる。

差別って,ちゃんと知識を得て,その視点で世界を見ようとしなければ避けられないものだと思う。知識がなければ,そして考えようとする姿勢がなければ,傷つけられた人のことを想像すらできず,「悪気がないんだからいいじゃないか」とか言い出す羽目になったりする。

差別的な偏見は私の中にも存在するけど,自分の中を見つめて,これがそうだと気づくことができれば,表現することを避けたり,表現する場面や方法を選んだりしようとする。気づかなければ,そのまま差別表現をしてしまう。

自分も,振り返ればそのとき気づかずやってしまったことがあった。今も,気づいていないものがあると思う。だから考え続けたい。そして気がついたら,それを自分の中から追い出す努力をしたい。

どんな世界の,どんな場所の,どんな状況にある,どんな人とも,友達になってもらえる可能性のある自分でいたいと思うので。



…ということを他のところにも書いていたら,疑問を呈するコメントがあったので追記。

以前,ラッツアンドスターのメンバーが,黒人ミュージシャンの人と番組で一緒になったときにものすごい顔でにらまれたという話をテレビでしてたのを聞いたことがあるけど,当然だと思う。ラッツアンドスターとしては,悪気どころかリスペクトの表現だったかもしれないけれど,でも,受け取る側は違う。悪気がなかったからといって傷つかないわけじゃない。

もう長年にわたって,これは禁じ手で,当事者の人に嫌な思いをさせるステレオタイプの表現だということはわかっていることなのだから,あえてやるというなら,少なくとも,説得できるだけの意味が必要じゃないだろうか。その表現をみて,ラッツアンドスターをにらみつけたミュージシャンの気持ちになる人が世界にたくさんいるということを知りつつ,あえてそれでもその表現をする意味があるのか。

浜田氏とかテレビ局とか制作会社は,表現を生業とするプロだ。そのプロがそう問いかけられて,「悪気はなかった」しか言えないのなら,マイノリティへの差別表現を笑いのネタにした,それが世界に向けて発信されたという事実が残るだけだ。

ちなみに私は,外国ではわりと差別を受けやすいアジア人だ。その私に差別表現が届かないように考えてくれてる外国の人たちもいるわけなんだから,やはりちゃんと考えたい。


安西敦
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